[-> Archives of Dr. mn's Research Works]
Laboratory and Clinical Practice 9(2) : 127-128、1991

第1回日本臨床検査医会春季大会
IV.シンポジウム II

臨床検査医の主張

西堀眞弘
東京医科歯科大学医学部臨床検査医学

A New-comer's Hope as a Clinical Laboratory Physician

Masahiro NISHIBORI
Laboratory Medicine, Tokyo Medical and Dental University, Tokyo

[published edition]
 私は1984年3月に東京医科歯科大学医学部医学科を卒業後、直ちに同大学の臨床検査医学講座に入局した。私がこの道を選んだ理由は、内的には医学の治療効果への失望、診断過程をめぐる欲求不満、機械やコンピュータへの興味、臨床医の将来への不安であり、外的には臨床検査医学教室の新設とコンピュータの積極的導入姿勢、臨床検査医学の新鮮さであった。入局後、21か月の内科系臨床医学の研修を経て臨床検査の研修に入り、その後検査部の管理業務、附属技師学校の講師などを兼ねながら現在に至っている。
 私のこれまでの研究活動には、私自身が興味をもっている、検査システムおよびユーザーインターフェースに関連するものと、教授の研究や業績発表の一部を分担する形で参加してきた、医療用光カードおよびその他に関連するものがある。前者は、私どもの施設で稼働している検査システムの稼働経験に基づいた仕事で、文部省の科学研究費補助金や臨床検査精度管理奨励会の研究奨励金の交付も受けている。これら一連の研究から、私どもの専門分野でコンピュータの真価を引き出すためには、コンピュータを技術者任せにせず、自ら理解して使いこなす必要があることを確信した。
 私は以上のような経歴の中で卒後教育カリキュラムを修め、1989年8月に認定臨床検査医の資格を得たが、私にとってその後の目標や方向の見通しは必ずしも明らかではなかった。その最も大きな原因は、臨床検査医の発生母体自体の抱えている困難や動揺である。即ち医療全体における疾病治療から発症予防への潮流や経済的・倫理的監査の圧力が、臨床検査の分野ではニーズの増大と高度化、コストダウンの圧力の形をとり、中央検査部にもベッドサイドと検査センターへの分裂の危機が迫っている。合わせて、臨床検査医が未だ社会的に十分認知されていないこと、臨床検査医の扱う対象が広範かつ多様で把握しにくいこと、臨床検査にかかわる多くの医療専門職や民間企業の中での位置づけが明確でないことがあげられる。
 しかしこのような混沌とした状況の中にこそ、これからの臨床検査医の役割があると考える。即ち、臨床検査にかかわる臨床医、各科専門医、検査技師、あるいは中央検査部、検査センター、 分析装置メーカー、試薬メーカーなどが、互いに乖離しあるいは障壁を設け、時にはベッドサイドから遊離する傾向がある中で、検査技術・医療・情報科学は言うまでもなく、経済・社会・行政などの幅広い知識を備えたうえでそれらを把握・集約し、臨床検査をあるべき姿に導くことである。それによって、検査サービスの費用対効果の適正な向上、診断に直結する付加情報の充実、新生児マススクリーニングのような、専門分化とは異なるアプローチによる予防医学への貢献など、目に見える効果をあげてこそ、初めて臨床検査医の役割が認知され、The doctors of doctorsとも呼ばれうる地位が確立できるのではないだろうか。
 以上の主張に基づく具体的な実践例として、私はこれからの検査システムのあり方として、(1) トータルな分析対象、(2) トータルなオートメーション化、(3) トータルな安全性、(4) トータルな柔軟性、(5) トータルな標準化、(6) トータルな門戸解放、(7) トータルな費用対効果判定の「7つのトータル化」を提言し、あらゆる施設の検査業務を、高いレベルで標準化、効率化および最適化できる方法を確立したいと考えている。なお、詳しくは別途学会発表等をご参照いただきたい。 言うまでもなく、臨床検査医の資格の獲得はゴールではなくスタートに過ぎない。これから学ぶべき知識、積み重ねるべき研鑽は数多いが、諸先輩方のご指導を得て、臨床検査医の地位確立と日本臨床検査医会の発展に、微力ながらも貢献できるよう努力したい。


[-> Archives of Dr. mn's Research Works]