ただし、診療録電子化の大きな柱と考えられる情報の相互利用性については、社会的コンセンサスの確立にまだ時間を要することから、具体的な要件は定められていない。既存の規格としては、HL7(Health Level-7)[3]、MML(Medical Markup Language)[4]、MERIT-9(MEdical Record, Image, Text, - Information eXchange)[5]等が提唱されているが、いずれも用途を絞ったフォーマットであり、医療情報全体を体系づけるものはまだ見当たらない。現時点では、厚生省から委託を受けた医療情報システム開発センターが、「医療情報における用語・コード標準化事業」として病名、手術・処置、医薬品、臨床検査、医療材料に関し標準マスターを開発中であり[6]、また「電子保存された診療録情報の交換のためのデータ項目セット検討委員会」を設置し、本年3月にようやく報告書をまとめた段階である[7]。
電子カルテ導入へ向けた臨床検査の対応
(1)3要件の確保
厚生省の通知に添えられたガイドラインには、次に例示するような具体的事項が細かく列記されている。真正性の確保について、(a)データの確定操作、その操作を行った責任者、確定後の追記、書き換え、消去の事実が確認できる履歴の保存、(b)ケアレスミスによる誤入力は必発と考え、確定操作の前にそれを防止するような確認を行うよう運用規程に定めること、(c)ソフトのバグによるエラーの発生を防止すること、そして保存性を確保するために防止すべき事例として、(d)システム更新時に互換性の不備により古いデータが読み取れなくなること、(e)バックアップの不備による障害発生時のデータ喪失などが明示されている。これらは当たり前のことであるが、安定稼働を維持するのに精一杯で、つい疎かになりがちなため特に注意を要する。
さらに、厚生省の通知あるいはそれに添えられたガイドラインには具体的に規定されていないが、見落としてはならない要点を指摘しておく。第1は、医療現場における作業効率についてである。情報システムの導入に当たって、セキュリティを厳格に確保すればする程、余計な操作が要求され、作業効率が落ちることは周知の事実であり、いかにそのバランスを図るかが実務上の成否を決める。したがって、ハードウエアの機能を落として導入コストを節約し、足りない機能を運用でカバーするという考え方は、それに伴う人件費増を無視した発想であり、そのまま現場に持ち込むと必ず失敗する。表1の(4)から見ても、却って逆効果になりかねない。もし電子カルテによって「効率的かつ良質な医療の提供」が達成されるという期待があるとすれば、それは患者ひとり当たり米国の数分の1の人件費で、米国に劣らぬ高度な医療技術を駆使しているために、考えられないようなケアレスミスが頻発する程、限度を超えて効率化が進んでしまった、我が国の医療現場を知らない者の幻想に過ぎない。
第2は、真正性は訴訟を想定した要件であり、医療機関の不法行為の有無を判断するのは裁判官であるから、いくら努力しても責任を問われるリスクはゼロにはならない、という点である。したがって、通知内容の達成だけに目を奪われることなく、その遵守に必要な費用を正しく見積もり、賄えない部分には損害賠償請求に備えて保険をかける、といった総合的な対策が不可欠である。
第3は、プライバシー保護についてである。インフォームドコンセントやセカンドオピニオンに関しては具体的な規定はないが、社会的要請として当然想定すべきである。表1の(5)を考えれば、例えば院外対診、研究あるいは行政への報告を目的とするデータ利用の際、患者の同意を要件とする等の機能は、予め組み込んでおくべきである。
(2)情報の相互利用性
(a)表現方法の標準化
医療情報の相互利用には、データの表現方法、すなわちコードの統一が不可欠である。幸い臨床検査はコードの標準化が先行していたため、先にあげた標準臨床検査マスターは、日本臨床検査医学会(旧日本臨床病理学会)が開発した「臨床検査項目分類コード[8]」を基本に、レセプトなど他の目的でも使用可能な情報を付加して作られている。さらにこの臨床検査項目分類コードは、米国で普及しているLOINC(Laboratory Observation Indetifier Names and Codes)[9]と互換性を図るべく調整が進んでいる。
なお、これらのコード体系はあくまでデータ交換の際の互換性確保を主な目的としており、データの保存には必ずしも適さないことに注意を要する。この点を明確に規定しておかないと、利用者から無用な誤解と批判を呼ぶことになる。実情の異なる医療機関でデータを保存する際、現場のニーズに最適化した個別のコード体系が必要となるのは当然である。医療そのものが標準化されるまでは、標準化されたコードを無理して自施設に導入する必要はなく、むしろ必要なのは、いつでも他施設と標準コードを用いてデータ交換できるように、自施設コードとの変換テーブルを作成し常に最新の状態に保っておくことである。
(b)臨床検査データの標準化
データの表現方法が標準化されても、データそのものが標準化されていなければ、そのメリットは半減する。この問題は臨床検査分野では古くて新しい課題として、日本臨床検査標準協議会(Japanese Committee for Clinical Laboratory Standards、JCCLS)が中心となって測定値の標準化を着実に進めてきたが、最近では測定精度の標準化に向けて、外部精度管理調査の統一が図られつつある。さらに、臨床検査分野で初めて設置された国際標準化機構(International Organization for Standardization、ISO)の専門委員会により、検査室のマネジメントを含めたトータルな精度保証に関する国際規格が作られており、間もなく発効する見通しである[10]。これらの動きは、電子カルテによるデータの相互利用が活発になるにつれ、ますますその重要性が増すと予想される。
おわりに
これからの臨床検査にとって、電子カルテの導入にまつわるこれらの新たな状況に的確に対応し、データ利用の利便性を充実させることは、確かに重要である。しかしそれで事足れりとしてはならない。臨床医が臨床検査の利用法や精度にあまり注意を払わない現状を、臨床医の理解が不足しているためと考えるのは、臨床検査だけに没入し、臨床を知らない者のひとりよがりである。臨床ニーズに適合しない、極言すれば役に立たない検査項目があまりにも多いことが、その本質的原因であることを直視しなければ、医療全体がDRG/PPSに象徴されるリストラの嵐に突き進む中で、臨床検査が生き残ることは困難であろう。今後は、バイオインフォマティクス[11]やEvidence Based Laboratory Medicine(EBLM)[12]あるいはEvidence Based Diagnosis(EBD)[13]を積極的に導入し、臨床検査データの利便性とともに、本質的な価値を飛躍的に高めることが求められる。
なお、本稿はインターネット上で公開しており、引用した文献は文字をクリックするだけで呼び出せるようにしてあるので、そちらもご参照いただきたい(
http://mn.umin.ac.jp/work20010201.html)。
参考文献
- 1
- 診療録等の電子媒体による保存について(平成11年4月22日付け厚生省3局長連名通知)―参考としてガイドラインと病院用の運用管理規程(例)が添付されている。
- 2
- 医療情報システム開発センター編:診療録等の電子媒体による保存に関する解説書、1999年10月(http://www.medis.or.jp/pdf/kaisetu_9910.pdf)―通知に関する解説やQ&A集、さらに資料として、通知およびその参考文書、診療所用の運用管理規程(例)、基準適合のチェックリスト、システム導入の要件リストと運用上の注意(参考)が添付されている。
- 3
- 日本HL7協会ホームページ(http://www.hl7japan.gr.jp/)
- 4
- MedXMLコンソーシアムホームページ(http://www.medxml.net/medxml/)
- 5
- 日本医療情報学会MERIT-9研究会ホームページ(http://merit-9.mi.hama-med.ac.jp/)
- 6
- 用語・コード標準化事業ホームページ(医療情報システム開発センター、http://www.medis.or.jp/yogo/std_yogo.html)
- 7
- 医療情報システム開発センター編:平成11年度 電子保存された診療録情報の交換のためのデータ項目セットの作成 報告書、2000年3月(http://www.medis.or.jp/pdf/dataset/11_pdf.PDF)
- 8
- 日本臨床検査医学会ホームページ(http://www.jslm.org/)
- 9
- LOINC Download page(http://www.regenstrief.org/loinc/loinc.htm)
- 10
- 河合忠:ISO/TC212「臨床検査と体外診断検査システム」の動向、臨床病理、46(10) : 961-967、1998
- 11
- 西堀眞弘:バイオインフォマティクス時代における臨床検査医の独自性確保について、臨床病理、48補冊、201、2000(http://mn.umin.ac.jp/work20001102.html)
- 12
- 臨床検査医学における系統的再評価委員会ホームページ(http://ebd.umin.ac.jp/srlm/)
- 13
- EBD研究班ホームページ(http://ebd.umin.ac.jp/)